10.言葉の重み ~自分の言ったことに責任を持つ~

おそらく小学1年生の夏、母の実家に帰った時のことです。当時、冷蔵庫はなく、井戸にスイカを冷やしていました。それはそれは冷たくて、 おいしかったものです。
おばあちゃんが、おやつの時間に「康子ちゃん、はよ食べ。おいしいよ。」と声をかけてくれたのですが、何を血迷ったか私は「いらない」と断ってしまったのです。

心にも無いことを勝手に口がしゃべってしまったのです。食べたくて仕方なかったのに!
その後も、何度も言ってくれたのに断り続けながらも内心、「あと3回、あと3回言ってくれたら、食べることにしよう…」と決心したのですが、もう手遅れで、誰もその後声をかけてくれなくなってしまいました。
なぜ心にもないことを言ってしまったのか、「遠慮」を覚え始めた頃だったのか、「格好つけ」を覚え始めた頃だったのか、意地を張る時を間違えてしまいました。

そして今、小学1年生になる孫が同じように、(きっと)心にもないことを言い出したとき、 私は「あ、そうなのね」の一言で済ませるようにしています。
私自身、あの頃に自分の言ったことに責任を持つということがどんなことなのかを学んだような気がします。
自分の口から出した言葉は(とくに大切な場面のとき)、どんなに損をしても貫き通す。 たぶんそのことが、損をした以上に私に残っていると思うから。

孫が言葉の重みを感じてくれる思い出の中では、 冷たいおばあちゃんかもしれませんね。


9.すべてに通じること

ギターの先生に習い始めた頃、「手をブラブラーっと、ハイ!力を抜いたまま、ここに親指をおいて、そのまま指を動かして…」というようなことをしょっちゅうやらされました。力を抜かないとダメということが、今、人に花を教えるようになってわかります。

ピアノをやっている人にも、お習字の勉強をしている人にも同じように聞いてみると、「そうです!力を入れたらダメです。」と返ってきます。

message9何かをやるときには、力を入れてはいけない。でもある時期は力を入れてしまいます。それがずっとやっていくうちに、力が抜けてきて、そこから初めて本当のスタートということになるのでしょう。

話はかわりますが、昔父に、「後ろに手が回ること以外は何でもやっておいたらいい」と言われたことがあります。5人兄弟の末っ子である私は、厳格な父とほとんど会話をした記憶が残っていないのですが、嫁入り前の荷造りを父が一緒に手伝ってくれて、そのときに紐の結び方を教えてくれたのです。 当時はガムテープもまだなかった時代です。固く、キチっと結ぶことが出来るその結び方は、フラワーデザインでも役に立っています。

ギターの先生の「力を抜きなさい」という言葉も、「何でもやっておいたらいい」という父の言葉も、何をしても無駄ではないなと、66歳の今、実感しています。


8.音楽からの発想

音楽を聴いていて、ひらめくことが昔はよくありました。音楽を聴く時間の余裕があったのですね。
いろんな角度から教えても、その人の能力がそれ以上伸びないとき、能力開発というテーマでレッスンを行ったことがあります。
『月光』の曲を教室を真っ暗にして、生徒さんに目を閉じて聴いてもらうのです。
何も考えないで、無の世界に入ってください…と。
photo8これはなかなか難しいようでしたが、 2回3回と繰り返し曲を聴いてもらい、そこにあらかじめ数本の花と吸水性スポンジを用意しておくのです。
「あ、花を入れたいな」と感じたら、目を閉じたまま、暗闇でそのまま花を挿してもらうのです。『マハラジャナイト』という曲でもこの作業を行います。
その後、目を開けてみんなで講評するのですが、いつもの自分では絶対に作らない作品が出来るんですよね。
音楽にのめりこむ、のめりこんだら違う何かが宿るというのでしょうか、手に宿るのです。


7.地上にあるものからの発想

デザインが出てこないとき、地上にあるものの見方を変えてみます。
例えば四角柱。これを横から、上から、斜めから見てみます。それぞれ見え方が違います。それでも閃かないときは、四角柱をカットすることを想像します。垂直にカット、斜めにカット、斜めにカットしたものを7:3で分けるようにカット…。それでもダメなときは、置き方を変える、それらを組み合わせる…。それでもまだ納得のいかないときは、自然の中にカラダをおきます。山の中に入ったり、 時間のないときは、昆陽池公園で白鳥を見たり、それだけでもよいのです。
最近では、息子がスクールのセミナーハウスを東条湖に作ってくれたので、生徒さんとともに花合宿をして、自然に触れる時間を作ることがあります。(余談ですが、このときも出来る限りのおもてなしとして、生徒さんの夕食は私の手料理で、2〜3日前から準備します。)

自然の中に身をゆだね、自然の風を受け、空気をたっぷり吸って、木々の風に触れる様を見て、白鳥の水面に浮かぶ姿をきれいだなぁ、かわいいなぁと感じることが出来たとき、直接デザインには結びつかなくても、心底リフレッシュ出来ると、頭が空っぽになって心は不思議なエネルギーで満たされ、新しいデザインを考える準備が出来るような気がするのです。
photo7


6.生みの苦しみ ~枕元にはメモ帳を~

photo6ベットの枕元にはすぐにメモが取れるように、ノートとペンを置いています。新しいデザインを考えるとき、スッと閃くこともあれば、そうでないときもあります。
閃き始めると次々にアイディアがほとばしり出てきて、再び10分ほどウトウトしているとまた、ノートをとり…。その繰り返しで眠れないことが多々あります。それでも閃かないときは、近くのホテルに2~3日こもって、集中出来るように自分を追い詰めたり、あるときは大分の湯布院に10日間こもったこともありました。

以前、阪急百貨店梅田店のウインドーディスプレイを担当したときは、やっと描いたデザイン画を採用してもらえたのは嬉しいのですが、そのデザインをどのように実現していくのか? 私は後先のことを考えずに突き進むタイプのようで、ここからの試行錯誤がそれは大変でした。
「あ~いい気持ち」という百貨店のコンセプトに私は、小さなたくさんの花が気持ちよさそうにハンモックの上で揺れているようなデザインを考えました。
大変なのはここから! 横幅4メートル、奥行き2メートルの限られた空間に実際のハンモックを木に吊るしても、ハンモックの形が維持出来ないし、花達をどうやってそこにアレンジするのか…。
工務店の友人に相談し、鉄でハンモック型の土台を作ることにしました。
結果、鉄の土台の上に小さな花がたくさんアレンジされているのですが、ショーウインドーを見たお客様は、ゆったりとやわからいハンモックの上に春の花たちが乗っかっているように見えたはずです。
これは大好評となりました。
デザインを考えるだけでなく、それをいかにして、そのデザイン通りに再現していくのか、そしてどんな花を選ぶのか…。
この一連の作業はかなり苦しく、しかしとても楽しいのです。
文化祭前のようで、私が大好きな時間です。


5.おもてなしの気持ち

photo5_1生徒さんは高いお金を払って、貴重な時間を使って、私のレッスンに来てくれます。
ですので、自宅でお客様を迎えるときと同じようには出来ないけれど、教室でも生徒さんを迎えるためのおもてなしの準備をします。
まず教室をキレイにします。すぐに汚れてしまうし、ごちゃごちゃと資材やら置いてあるけれど、それなりに片付け、整えます。そして精一杯のレッスンを当然のことながら行います。

レッスンの途中にお茶の時間もとります。
これも「まぁよく来てくれたねぇ…私ものどが渇いたけど、あなたたちも飲みたいよね」みたいな気持ちでお茶を用意します。自分自身もおいしいお茶が飲みたいから、買える範囲でのおいしいお茶を用意し、お茶以外にはココアやコーヒーもそろえておきます。
そして、私自身も疲れた顔ではなく、シャンと背筋を伸ばし、キレイな花を教える先生として、出来る範囲でお洒落もします。
レッスンがなければ、疲れたおばさんに変身してしまうかもしれません。
私にとっては毎日のことではあるけれど、生徒さんにとっては、花のレッスンは特別な時間。
ちゃんと丁寧に向き合いたいものです。
photo5_2


4.良い先生に出会うことは不幸なことかもしれません

「教わる気がしない」と書きましたが、今までの人生で二人、それは素晴らしい先生に出会いました。
一人は名古屋に住んでいた頃、花を習った先生。顔もキレイで、スタイルも抜群!そんな憧れから入った気もしますが…。
前方正面のフラワーアレンジを習ったとき、「前から見ただけではダメよ。横から見てもキレイに並んでいるか見ないとダメよ。お化粧するときだって、顔の正面だけでなく、横の首のあたりも気をつけないとおかしいでしょ?」と、教えてくれたことが記憶に残っています。
切り口を変えて教えてくれたのですね。

photo4もう一人は、独身の頃、北九州でギターを教えてくれていた先生です。
曲が全部で100小節あるなら、難しいところは10小節くらいで、その部分をピックアップして、たとえば『月光』という曲のときには、「康子さん、恋人に何かを言いたいんだけど、いい言葉がみつからなくて、でも何か言いたい…って気持ちわかる?」と話をしておいて、「そんな気持ちをこういう風にして弾くんだよ」と、実際にギターを弾いてくれるのです。そうするとすごくよく理解が出来るのです。講釈もわかりやすく、技術も高い、ことばも技術も上手な先生でした。
結婚して、私は名古屋に移り、新たなギターの先生を探したのですが、この先生のように、ことばも技術も上手な先生にめぐり合えず、結局ギターを辞めてしまいました。
最初に通り一遍の先生に出会っていたら、結婚後もギターを続け、花に出会っていなかったかもしれません。


3.世の中の先生、レッスンプロとしてお給料をもらってますか?

photo3花以外のことにも興味を持ち、テニスやフィットネス、そしてギターに通ったことがあります。
でも毎回続きません。
その長続きしない理由は、今になって考えてみると、先生の教え方が下手だったんじゃないかと思うのです。
「あなたはそれで、お給料をもらっているの?!」と言いたいくらい。
だから教わる気がしないのです。

先生というのは、生徒のわからないところを分かってあげないといけないと思うのです。
私が生徒さんに、先生になるための勉強を指導するとき、「レッスンプロ」という言い方をよく使います。
花を教えるにしても、ただ花が上手に生けられるだけではダメなのです。
どうすれば、よりわかりやすく生徒さんに伝わり、どうすればより楽しいと感じてもらえるレッスンにすることが出来るか、どうすればまたレッスンに来たいと思ってもらえるか…。
いろんな性格の生徒さんが花を習いに来てくれます。
そのすべての人が貴重な時間とお金を使って、レッスンに足を運んでくれているということを忘れない先生になってほしいのです。
教えるプロなのですから。


2.教えるということ=伝えること

photo2正しく伝わったか否か。
生徒さんのやっていること(プロセス)を観察していると、伝わっているのかどうかわかります。
正しく伝わっていないと感じたときは、別の言い方で試してみます。
この方法は1987年にベルギーへ花留学したときに学びました。
英語もちゃんと話せない私に「Do you understand?」と私の目を見て伝わっているのか否か見極めて、どうも伝わってなさそうなら、単語を変えたり、違う例を出したり、別の言い方で伝えてくれたのです。

以来、通り一遍の言い方ではなく、その人のわからない部分を想像して、その人に応じた言い方で伝えます。
色々な言い方を考えている瞬間、それを分かってもらえた瞬間、私は本当にうれしく、幸せを感じるのです。

教え始めた頃は、ただただ情熱で教えていたような気がします。
その経験も私には必要だったと思います。
心からの気持ちは、ちゃんと相手に伝わりますからね。


1.長い年月、花を教えてきたから言えること

不器用を計る機械がないので、自分で思うしかないのですが、私は不器用です。
子供の頃、姉との比較でそう感じたし、大人になってから花を勉強しはじめた頃にも他の人と比べて痛感したものです。人の10倍練習して、やっと人並みだったように思います。

だからこそ、そのおかげで、分からない人の気持ちが分かります。
一度で理解出来る人、何度も聞かないと分からない人、早とちりの人、みんな様々です。
分からなかったからこそ、いろんな角度から研究し、努力し、繰り返し練習したことが私の財産となっています。
「私は不器用なんで、そんな細かいこと出来ないわ…。」と嘆く生徒さんにも、自信をもって薦められます。

不器用な私が、こうやって40数年、花を教えているのだから。

066